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クライアントとの取り組みは、製造業、卸売業、小売業、サービス業など業種によって異なる部分はあるものの、基本的には、経営者や部門責任者と共に製造や販売、倉庫などの現場のラウンドから始める。“現場は宝の山”と言われる通り、沢山の宝、つまり気づきがある。日常的に目にしている人、携わっている人には感じ取り難い、惹きつける何かが大抵の現場には潜んでいる。その何かを見付け、気付き、次のステップにつなげるイメージを持つことを大切にしている。   引いて観て、寄って観て、触れてみて、聴いてみて、嗅いでみて、ものによっては味わってみて五感で現場を体感し、現場の担当者とも会話を交わしながら、組織やサービス、プロダクト、技術に於ける、顕在化されたものだけでなく、潜在的な能力を探り、そのブランド価値を自分なりに理解していく。   経営理念、経営方針、社是、スローガン、ヴィジョンなどをしっかり掲げてはいるものの、それぞれが曖昧だったり、整合性が取れていなかったりして、会社内に上手に浸透して切れていないケースも少なくない。そのため、次のステップとしては、そのブランドとしての存在意義、そのためのあるべき姿、将来像、そして行動指針となる価値観を、じっくりしっかりと焦らずに、ブランドとしての原点、歩んできた道のりと照らし合わせながら、経営者や責任者、担当者の想いを伺いながら、紡ぎ、編み、調えて、ブランド関係者の心に響く、腹に落ちる、自分たちのものと思えるブランドとしてのフィロソフィー(哲学)に仕上げる。此処まで辿り着くには相当なパワーを要するが、とても前向きで建設的なことなので、当たり前だがいつも愉しくワクワクしながら、(壁にぶつかり凹むこともあるものの)プロジェクトのメンバーと進めている。   次にフィロソフィーを軸にして、商品政策、営業政策、生産政策などに整合性、関連性、一貫性をもたせながら、仮説を立案しての、実行、検証、修正を繰り返し、繰り返し、繰り返し、しつこく、何度も何度も行なっていくことで、ブラッシュアップされ、より個性的で魅力的なブランドが構築されていく。結構険しい道のりではあるけど、本気になって取り組めば、失敗はあっても、最終的にはイメージ通りになると信じ、メンバーともに日々本気モードで突き進む。クライアント自らが描くブランドを構築するために、本気モードのスイッチを見つけ、押してあげることもブランドビルダーの役割だと思っている。  ...

ロシア政府主催のサンクトペテルブルク国際経済フォーラムに参加し、「ミクロとマクロの両方を捉え具体化させたダイナミックな国家プロジェクト」、「国や行政、産業界とのインタラクティブなリレーションシップ」、「グローバルな視点でのミューチャル・ベネフィット」の重要性を強く感じた。国が、地域が、企業が、団体がそれぞれのパビリオンで、それぞれのセッションで、自らが進めるべきこと、進めることができること、進めていきたいことを表現していました。   自らの日々の活動では、可能な限り広く大きく全体像を俯瞰することを心掛けながらも、まずはミクロから、細部をとことんマニアックにプロジェクトのメンバーと進めていくことを意識している。プロジェクトに参加するメンバーが本気になることが大事である。本気になって進めていかなければ、人を、企業を、地域を、国を動かすようなことは生まれない気がする。ダイナミズムというのも初めからダイナミックではなく、象を倒す蟻のように、小さなものも集まって起きるもの、小さなことを積み重ねて生まれるものであり、そのためには、本気になって、具体的な計画を立案し、継続的に実行、検証、修正、実行を繰り返し続けていくことが重要ですよね。   今回のフォーラムでは、ジャパンパビリオンにて、『日本の簡素な美』を通して、「日本のものづくり」の魅力や「日本人の美意識」の高さを紹介。聴講者の皆さんが、少しでも日本と関わりを持ちたい、日本の文化に触れたい、日本を訪れたいと思える一つのキッカケになればと良いと思い、お付き合いのあるブランドの皆さんのより、写真や映像をお借りし、プレゼンテーションを纏めました。作り手の「姿勢」や「誇り」「想い」を、一枚一枚の写真を通して、聴講者の心に届け繋げることができた気がします。聴講者の表情、真剣な眼差し、質問、写真撮影などから感じ取れました。あくまでも自分の言葉は、補足でしかないのですけど、語るべきところは本気で熱く今回も語っています。   日本のものづくりが、伝統を重んじながらも変化、進化を続け、より強く、深く、大きな動きになっていき、人や地域社会や国に活力を与えられるように、其れが可能だと信じて、小さな一つ一つのプロジェクトに想いを込めて、プロジェクトのメンバーともに地道に、タイムリーに、アグッレシブに進めていくことに間違いはないと思えたサンクトペテルブルクでの3日間。また近いうちにこのサンクトペテルブルクに戻りたいですね。  ...

初めてのセミナーは今から12年ほど前。ちょうど独立間近という頃に知人より頼まれ、遠藤照明さんの青山のショールームで3日間、三井ホームさんや三菱地所ホームさんなどのコーディネーターさん向けに行なったインテリアセミナーでした。毎年通い続けていたミラノサローネで自らが体感してきた内容を主なベースとし、インテリアをつくり込むにあたってのテーマづくりやポイントなどについて話したような気がします。   その後、起業してからは、自らにセミナーの実施を課し、だいたい年4回程度のペースで行っています。2007年よりジェトロの輸出支援事業のデザインプロダクト、伝統産品のアドバイザーを勤めてからは、『輸出』『海外販路開拓』『海外見本市』などもテーマに加わり、その後ブランディングをコンサルティングの主にするようになってからは、『創ると伝える』『ブランドアイデンティティ』『ブランドコミュニケーション』などをテーマにする機会も増えてきています。   どのようなテーマであっても、聴講者が経営者、従業員、個人、行政とどのような方々であっても、セミナーを実施する際に、常に意識しているのは、何を伝え、心に響かせ、行動にどの様に反映してもらいたいかを明確にし、ビジュアルイメージを用いて簡潔に伝えるということです。会社員時代の事業計画発表会で事業計画をマネージャーとして発表する際に、社長より聴講者が楽しんで聴けるように「聴講者のことを考えて自分の言葉で、工夫して話しなさい」と言い続けていただき心がけてきたことも、とても役立っています。   今回は、ロシア政府主催のサンクトペテルブルク国際経済フォーラムにて『日本の簡素な美 ―それを支える価値観・ものづくり』というテーマでセミナーを実施しています。本日はその初日でした。ロシア人の通訳の方に、事前にプレゼンテーション資料を一式お送りはしておりましたが、さらに『日本の簡素な美』に対する理解を深めてもらい、魅力を感じてもらうために、午前中にじっくり時間を掛けて、伝えるべく内容を細かく説明。こちらの国立大学で日本文化論、日本文化史を教えている方なので、理解度も高く、本日のセミナーもほぼバッチリ。本日紹介したブランドさんたちへのロシアからの問い合わせや来訪者が増えるのではないかなと思っています。明日、明後日も通訳の方との二人三脚で、聴講者に『日本の簡素な美』の魅力を伝えていくつもりです。  ...

考え、想いを伝えることの愉しさ、難しさ、大切さを感じる毎日。もともと伝えることの重要性というものを比較的強く意識して活動してきてはいるが、ブランドディングコンサルタントを生業とし、ブランドコミュニケーションについてもコンサルティングするようになってからは、それまで以上に、伝えるという行為のための時間が長くなってきている。   時間の許される範囲の中で、伝えるべく事柄をなぜ伝えたいのか?その目的を明確にし、伝えるべく相手のことを考えながら、頭の中で伝えるべく内容を纏め、鉛筆やペンで紙に書いたり、タッチパネルやキーボードを叩いたりして整えてから、なるべく伝えるようにしている。そうしても当たり前だけれども、想いが全て伝わるわけでもないし、7割近く(厳密に測ることはできないのだけれども)伝われば良いかなと思っている。伝えるという行為の奥の深さや難しさを感じるからこそ、面白いと思えるのである。   今から遡ること40年ほど前、幼稚園から小学校に通っていたころの記憶が蘇る。チームごとに縦に10人ほど並び、先頭の子供に先生がお題を書いた紙を手渡す。そうそう伝言ゲームである。お題の文が長くなればなるほど、10番目の最終者の発表内容は、はじめのお題とは似ても似つかぬ??と、笑いを誘うような内容になっている。これは何も子供に限ったことではない。大人でも、伝言を繰り返していくと、大抵、内容は変化していく。   伝えることは容易ではなく、内容を誤って解釈される可能性や、内容が変化する可能性の多分にある。そのため、自分の頭の中が混沌としたまま相手に伝えるのではなく、秩序立てて、できる限り簡潔に、可視化できるものは可視化して伝えた方が良い。このブログを書く前に、クライアントの新たなサイトの構築を行っていた。クライアントのブランドついて、セグメンテーショした層に如何に深く理解してもらうかを第一に進めている。本日の午後は倉敷の製造ブランドの経営陣の皆さんと各社の工場の見学会を行います。夫々のブランドアイデンティティをどのように伝えてくださるのか、プレゼンテーションが楽しみです。  ...

世界中の名だたるブランドが、このミラノ街に一同に会するミラノでの一週間がいよいよスタートした。RHO FIERAで開催されるミラノサローネはインテリアにおける最高峰の見本市、町全体を覆う勢いの、数多の外会場、総じてフィオリサローネも世界各国の魅力的なブランドが創意工夫を凝らした一種独特な手法で自らの世界観を創造し訪れる人を酔わしてくれる。この一週間をいつの頃からかミラノデザインウィークと呼ぶようになった。   気がつけば、このミラノサローネに通い始めて20年の月日が。はじめの頃は、イタリアの家具を学びに、そしてヨーロッパの家具を買い付けることなどが主たる目的だったのですが、MUJIが初出展した頃から、目的もだいぶ変化してきています。もちろん買付のサポートなども行なっているものの、主に出展する、出展を考えて視察に来ている、ブランドを資産として考え始めブランディングを学びにきているなどのブランドのサポートを近頃は行うようになって来ています。   ブランドの哲学、つまり存在意義や価値観、展望についての重要性を、年を経れば経るほど、経験を積めば積むほど強く感じるようになってきている。その哲学をベースにモノやサービスを創り出し、顧客に提供することでブランドと顧客が強く結ばれるようになっていく。どんなベネフィットを顧客に供与できれば、顧客の満足度は高まっていくのか。顧客がブランドのことをどのように想い感じているのかを如何に理解し、如何に実現させるのか。そのために、ブランドコミュニケーションも大きな役割を担う。これらのことごとを考え、実行できるようになってきているのは、やはりこのミラノ影響が大きい。   この1週間、大袈裟でなく朝から晩まで、関わっているブランドの皆さんと共にインテリアブランドはもちろん、自動車、家電、食品、ファッション、時計、ステーショナリー、バストイレタリーなどのブランドのインスレーションを体感し、コンセプトやビジョンなどを記すパネルを読み、コレクションと向き合いながら、昨年との比較をしたり、来年のプレゼンテーションを想像したり、いろいろな仮説を立ててみたり、そして世界中から集い自社の会場に訪れるプレスやバイヤーなどと接し応対することで新たな気づきにでも出会う。 2018年の春も、このミラノで色々な気づきを感じ、昨年とは異なる一年にしていきたい。  ...

誕生の地、育った地からの影響を意識下のもと、人は大なり小なり受けている。多くの場合が、その地の風土より、大きな影響を受けていると思う。風土とは、辞書を引けば“地域によって異なる特色をもった環境としての自然、その土地の気候、地味、地勢などのありさま”とある。さらに、“歴史的建造物なども含む多くの要素を持ち、人間の文化形成などに影響を及ぼす精神的な環境”とある。「日本語で文法上の主語がはっきりしていない、あるいは必要でないということと、日本固有のある傾向の間には何らかの繋がりがあるようだ。その傾向とは、主体を環境に溶かし込み、人間と事物の一体化を尊び、言葉によるコミュニケーションを貶め、他の言語活動を尊重し、理性の働きよりも高く感受性を位置づけ、自然や自然的ものや気分や雰囲気や風土を賛美するというものであり、これは要するに人格の個別化を排斥し、共同的な一体性を称揚するという傾向である。日本文化は昔からこの傾向を明らかに示してきた。」と“風土の日本―自然と文化の通態”という著書の中でオギュスタン・ベルク氏は述べている。やはり、日本人と風土は、切っても切れない密接な関係にあり、日本人の感性にも大きく作用しているような気がする。自分自身に置き換えてみてもまさにその通りである。   「日本では状況や相手によって「私」が「俺」にも「うち」にも「おいら」に もなるというのは、そのように変化させることで相手との関係を大切にしてきたことの証明なのである。 この人称表現の豊かさは、君がいるという二人の関係の中においてのみ、自分があると考えて いるということの証明だ。「われが思うからわれは居る」のではない。「あなたが居るからわたしは居る」のであり、わたしはあなたとの関係の中にのみ存在していると考えるのが日本人なのだ。われわれは「共」の民であり、ともにあることを喜ぶ民だと先に述べたが、このことが人称使いにもあらわれているのである。この人称の多様性は、われわれ日本人が理性や論理の民ではなく、情緒と感情の民であることの証明である。」と大石久和氏は、著書“国土が日本人の謎を解く”の中で語っている。日本の土地が、この素晴らしき環境が我々の感情をより豊かなものにしてくれ、美意識を高めてくれているようにも思う。   パリで開催されるMAISON&OBJETやニューヨークのNY NOW、ミラノのMILANO SALONEなどで、日本のブランドやコレクションを発表している。我々からすると、それほど日本を意識して、つくりあげたものでなくても、とても日本的だねと評価されることが多い。はじめの頃は、その反応に多少戸惑うこともあったが、いまでは、日本らしい=素晴らしいと判断し満足している。とくに簡素な美を表現している日本のブランドやコレクションに対する、賛美はとても多く、“これぞマニアックな日本人らしさだ”などと褒めてくれる。日本固有の感受性や精神性というものは、人それぞれ、もちろん違いはあるものの、それぞれ表現するものから醸し出される雰囲気の中に多かれ少なかれ“日本らしさ“が含まれており、他国、他文化の方々がそこに触れると、それは極めて日本的に見えるのであろう。   この日本の風土の中で培われてきた、日本人としての精神性や感性を自分たちの強みとして捉えながら、日本人としての限界を決めつけず、つまりフレームを固定化させてしまうのではなく、その強みを活かし、新たなものごとを創造し自らのフレームを広げ、変化させていくことが日本人として大事なんだと思っています。  ...

鉛筆削りは、鉛筆を削るためのものである。ただし、それだけではない。鉛筆を通じて描くという行為に繋がっているし、現在、NJKこと中島重久堂さんと共に行っている活動からも分かる様に、鉛筆削りが、鉛筆と共にペンシルフレークを作り、そのペンシルフレークを使って作品がつくられている。   TSUNAGOという鉛筆削りは、もったいないの精神に基づいて開発された、短くなった鉛筆を繋いで最後まで使い切ることを可能にした新たな鉛筆削りである。鉛筆削り=鉛筆を繋ぐ、想いを繋ぐという様な図式の構築にも繋がっている。   「フレームとは、世界をどう見るかという我々の頭の中の構造である。強いフレームがあると、それが目前の事実と合致しない場合、事実を無視してそのフレームを維持することになる。」ということを、カリフォルニア大学バークレー校言語学教授であるジョージ・レイコフ氏が著書、Do't Think of an Elephantの中で語っている。   フレーミング、則ち、フレーム(枠組み)を設定することであるが、そのフレームは、固定的なものではなく、可変的なものであるため、そのものごとの価値を見極めて、その都度再定義した方が良いと思う。一度定義されたフレームを外すことは容易なことではないけれど、視点を変えて、変化を加えて、深層面を観ていると、今まで気付かなかった、今までとは異なるフレームが浮かび上がり、そのフレームの中で新たなものごとが生まれるのではないでしょうか。   新大阪より岡山に向かうのぞみ車内より  ...

「アイデアと移動距離は比例する」という高城剛氏の帰り言葉を知った時に、"まさしくその通りだ"と強く納得したことを今回の出張中に思い出した。   移動距離が長くなればなるほど、固定観念に捉われ難くなり、心が開かれていくため、自ずと体感したものを素直に受け入れ易くなるのではないだろうか。新しいモノゴトを受け入れていくうちに、幼少期と同じように、もっともっと量を求めていくようになり、同時にその量をしっかり消化しよう、自分の腹に落とそうという意欲が、いつも以上に増していくため、頭がフル回転し、考える質も高まっていきアイデアが湧き上がってくる。   ラザフォードというニュージャージー州の街にホームステイした21歳の夏。予定より一日前に、なんの連絡もせずにホストファミリーの家を訪れたため、部屋もなく泊めてもらえず、初めてのアメリカの地の夜を、モーテルであかした。それから約ひと月半のアメリカ生活は、見るもの行うことが全て新鮮で、とにかく貪欲に吸収した。学校が終わったらバスに乗ってマンハッタンに繰り出し、マンハッタンの街を歩き、ニューヨークの文化を、ニューヨークの発するエネルギーをその時の自分にとっては十分過ぎるくらい体感した夏だった。   この夏に、それまでの人生とは比較にならないくらい数多くのアイデアが頭に浮かんだ。何事に於いてもエンターテイメント性は重要であるということも、この街が気づかせてくれて、色々なアイデアが思いつき、帰国後の生活に役立った気がする。いろんなイベントを仲間と共に企画し、愉しんでいたバブル期。インターナショナルな仕事をしたいと思い始めたのもこの頃だったかな。10日間の国内出張から東京に戻るのぞみの車内にて。  ...

連想という言葉を目にすると、たまに子供の頃に行っていた連想ゲームを想起する。紙に書かれているお題から連想出来る言葉を伝え、回答者がお題を当てるという比較的シンプルなゲームである。小学校中高学年の頃に、結構楽しんでいたような気がする。   お題、つまり答えから連想出来る言葉を相手に伝え、相手を其処に導くためには、やはり、相手のことを知っていた方が有利である。よく知らない場合には、相手のレベルについて、仮設を立て修正をかけながら進めていった方が勝ちに繋がりやすい。自分が伝える言葉から、相手が連想出来る否かを想定し、出来るであろうという言葉を伝えなくては、なかなか答えに辿りつかない。   ブランド連想も同じことが言えると思う。自分たちの顧客や顧客にしたい方々が、如何に連想し、答え、即ち"自分たちのブランド"に辿りつくのかを、しっかりと考える必要がある。自分たちが考える価値観や属性、顧客に与えるベネフィットなどから、もし顧客が自分たちのブランドを連想出来ないのであれば出来るように工夫する必要がある。   自分たちをあるべき姿までもっていくために、まだブランドを連想出来ない事柄については、その詳細を明確にした上で、手を打っていかなければ、絵に描いた餅で終わってしまう。ブランドのビジョンに向かって前進するために、自分たちが掲げたものから自分たちを連想することを可能にしていかなければならない。  ...

自ら発する言葉が人の心に響く、人の心を動かす、人の腹に落ちる場合とそうでない場合がある。自分の中で本質を捉えきれていないことを言葉にした時には、当たり前だけれども、相手に届き難い。   内田樹の"街場の文体論"に「届く言葉には発信者の届かせたいという切迫がある。できるだけ多くの人にできるだけ正確に自分が言いたいことを伝えたい。その必死さが言葉を駆動する。思いがけない射程まで言葉を届かせる。」とあるが、まさしくその通りである。本質を捉え、確信し、納得し、共鳴し、そのことを自らの強い意志で伝えたいという時に人は必死になり、真剣になり、その時のその言動が人の懐深くに飛び込んでいくのではないか。   所作とは、振る舞いや身のこなしに加えて、仏語で身・口・意の三業が発動することと辞書に書かれている。所作は、心の奥深くに染み込んでいる生き方を表現するものであり、体の言葉である。この所作も大きく人に作用する。   「目的を見つけよ。手段は後からついてくる」「強さとは身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるものである。」など数多くの名言と功績を残し、世界中の人々に言葉を届けてきたガンジーは、所作でも人々を魅了したに違いない。   インドでの旅の途中 タジ・マハールよりデリーに向かう車中にて    ...