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風土より

お知らせ|株式会社クレアツォーネ

誕生の地、育った地からの影響を意識下のもと、人は大なり小なり受けている。多くの場合が、その地の風土より、大きな影響を受けていると思う。風土とは、辞書を引けば“地域によって異なる特色をもった環境としての自然、その土地の気候、地味、地勢などのありさま”とある。さらに、“歴史的建造物なども含む多くの要素を持ち、人間の文化形成などに影響を及ぼす精神的な環境”とある。「日本語で文法上の主語がはっきりしていない、あるいは必要でないということと、日本固有のある傾向の間には何らかの繋がりがあるようだ。その傾向とは、主体を環境に溶かし込み、人間と事物の一体化を尊び、言葉によるコミュニケーションを貶め、他の言語活動を尊重し、理性の働きよりも高く感受性を位置づけ、自然や自然的ものや気分や雰囲気や風土を賛美するというものであり、これは要するに人格の個別化を排斥し、共同的な一体性を称揚するという傾向である。日本文化は昔からこの傾向を明らかに示してきた。」と“風土の日本―自然と文化の通態”という著書の中でオギュスタン・ベルク氏は述べている。やはり、日本人と風土は、切っても切れない密接な関係にあり、日本人の感性にも大きく作用しているような気がする。自分自身に置き換えてみてもまさにその通りである。

 

「日本では状況や相手によって「私」が「俺」にも「うち」にも「おいら」に もなるというのは、そのように変化させることで相手との関係を大切にしてきたことの証明なのである。 この人称表現の豊かさは、君がいるという二人の関係の中においてのみ、自分があると考えて いるということの証明だ。「われが思うからわれは居る」のではない。「あなたが居るからわたしは居る」のであり、わたしはあなたとの関係の中にのみ存在していると考えるのが日本人なのだ。われわれは「共」の民であり、ともにあることを喜ぶ民だと先に述べたが、このことが人称使いにもあらわれているのである。この人称の多様性は、われわれ日本人が理性や論理の民ではなく、情緒と感情の民であることの証明である。」と大石久和氏は、著書“国土が日本人の謎を解く”の中で語っている。日本の土地が、この素晴らしき環境が我々の感情をより豊かなものにしてくれ、美意識を高めてくれているようにも思う。

 

パリで開催されるMAISON&OBJETやニューヨークのNY NOW、ミラノのMILANO SALONEなどで、日本のブランドやコレクションを発表している。我々からすると、それほど日本を意識して、つくりあげたものでなくても、とても日本的だねと評価されることが多い。はじめの頃は、その反応に多少戸惑うこともあったが、いまでは、日本らしい=素晴らしいと判断し満足している。とくに簡素な美を表現している日本のブランドやコレクションに対する、賛美はとても多く、“これぞマニアックな日本人らしさだ”などと褒めてくれる。日本固有の感受性や精神性というものは、人それぞれ、もちろん違いはあるものの、それぞれ表現するものから醸し出される雰囲気の中に多かれ少なかれ“日本らしさ“が含まれており、他国、他文化の方々がそこに触れると、それは極めて日本的に見えるのであろう。

 

この日本の風土の中で培われてきた、日本人としての精神性や感性を自分たちの強みとして捉えながら、日本人としての限界を決めつけず、つまりフレームを固定化させてしまうのではなく、その強みを活かし、新たなものごとを創造し自らのフレームを広げ、変化させていくことが日本人として大事なんだと思っています。

 

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