コミュニケーションは、伝達することであるから、伝えるべく内容を相手が理解に達して初めて成り立ったと言える。
そのため、己のことは、もちろんだけれども相手のことを詳しく知っていた方が円滑に進むことは間違いない。姿勢、流儀、知見、リズムやテンポというものを可能な限り把握しておいた方が良い。もし、初めての相手でそのようなことが掴め難い場合は、仮設を立ててからコミュニケーションを図り、相手が発する言葉や表情や仕草などを素直に受け入れながら仮設を修正し進めていくことも可能だと思う。
意志の自由、意味への意志、人生の意味。オーストリアの心理学者であるヴィクトール・フランクルのロゴセラピーにおける3点の基本仮設である。つまり、「人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。人間は生きる意味を強く求める。それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。」と述べている。
コミュニケーションにおいても、相手の人生の意味、少し大袈裟に思えるかもしれないけれど、許される時間の範囲でそのことを考えてからコミュニケーションした方が相手の理解度は高まるかな。自分のことを真剣に考えてくれる相手が発する言葉は重みも厚みも深みも違いますよね。
川島蓉子さん著書の“エスプリ思考“の一節に齋藤峰明さんの「マーケティングとは、強いて言葉にするなら、作り手の意志と使い手の意志を交流させること」という言葉がありますが、コミュニケーションも同じではないでしょうか。
伝え手の意志と受け手の意志を交流させることで、決してone wayではなく、一つのコミュニケーションの中で伝え手、受け手が入れ替わり続けながら交流して理解に達するんでしょうね。
ガンジス川の日の出を眺め、ホテルで朝食を済ませてバラナシよりバドヒに向かう車内より。