自社ブランドのフィロソフィーに『環境に優しい』というコトバを織り込んでいる。年をとればとるほど、経験を積めば積むほど、人を次の世代を想えば想うほど、このことを真剣に捉え、考え、向き合い、強く意識して其々のプロジェクトに取り組むようになってきている気がする。
昨年より、リサイクルを軸としたブランドのブランディングに携わっており、そのブランドとの月次会議の中では、『環境保存』『地球環境保護』『エコロジー』『エネルギー削減』『アップサイクル』などの言葉が頻繁に飛び交っている。日々の企業活動の中で、プロジェクトメンバー一人一人が、どこまで主体的、能動的、自発的、積極的に、地球環境を想い、組織を活用し、個々のプロジェクトを立ち上げ、組み立て、実行していけるかを考え実行している。もちろん、完璧ではないけれど皆な其れなりに頑張っている。
『海中に沈むプラスティック』『漂流するプラスティック』『海岸に溢れるプラスティック』そのような写真がweb上でも、誌上でも数多く掲載されており、年々目にする機会が増えており、心苦しくなってくる。プラスティックが環境を汚染しているのは事実だけれども、そのプラスティックを使い、作り、捨てているのは、我々人間であり、我々が営む企業であることを忘れてはいけないと思う。世界中の殆どの人が、当たり前だけど、自分たちが住み、自分たちが愛する地球を汚したいと思っていなく、地球にやさしくしたいと思っているはずである。なのに、何故だか、たくさんのプラスティックがあってはならないカタチで蔓延している事実。摩訶不思議である。そして、優れた素材の一つ、我々にたくさんの貢献をもたらしてくれているこの素材がまるで悪であるかのように見て、紙などの別素材に変更することが善というような風潮が起きつつある。ここに少し(いっぱい?)違和感を生じるのは自分だけなのか。そもそも、使い方、扱い方を正しくすれば、この素材であってもいいはずのものも少なくないはずである。プラスティックは悪ではない。
『地球にやさしい』とは?、自分たちが住み、お世話になっている地球のためにできることは何か?と自分自身に問いかけての答えは、やはり『素』の自分を大切にしながら、愛着を持って、ものづくり、ことづくり、環境づくり、人づくりを、関わる方々と共に長いスパンで行なっていくことかなと改めて思った火曜日の夜。『素』『愛着』が、ものや環境を大切に大事に扱い、環境にも物にもやさしく接し、ものを捨て難くし、どうしても活用しなく不要になった時には譲るというような精神を宿るきっかけになるんではないかな。