“独創性(オリジナリティ)とは起源(オリジン)に戻ること”というアントニオ・ガウディの言葉の通りだと思う。
オリジンは、固定観念に縛られることもなく、既成概念に捉われることもない原点的な頃。つまり、童心を持ち続け、何にも染まっていない純真無垢な時代。人によって、その時代は異なるのだけれども、それが、幼稚園、小学校年代までという人もいれば、現在進行形で最期まで続く人もいると思う。
先生に、綺麗に、キレイに、きれいにと言われ続け童心を忘れてしまうケースもある。お日様は赤く、空は青く、雲は白く描きなさいと言われその通りにしないと何故?と問われ、気がつけばそれが当たり前になってしまい童心が薄れてしまうケースもあると思う。自分の記憶を思い返してみる、小学校の図工の時間に顔をオレンジ色で塗った時に顔は肌色でしょと咎められ、中学の美術の時間に手首に目を描き手の上に地球を乗せたら、目な顔じゃない?手に地球は乗らないでしょ?と不思議がられ、そんなことが続くうちに童心を忘れてしまった頃がある。
独創性=童心とは言わないけれど、独創性≒童心のような気がする。独創性は、当たり前だけど真似るものでもないし、調査して生まれるものではない。そして、依頼されて創り出されるものでもない。自らの意志のもと生まれるものである。だから素の自分自身が心底欲する状態にあって初めて生まれるものではないのかな。
独創とは、“他人の真似をせず、自分一人の考えで作り出すこと” と辞書はある。もちろん考える必要はあるけれど、まずは自分の感覚、本能的な欲求や直感からスタートするのではないかなと思うインド、バラナシの土曜日。